せきやんのブログ

技術や趣味などについて書きたいことが思いついたら書いていきます。

元不登校が仕事を辞めて大学入学した話

はじめに

こんにちは、せきやんです!

今回は僕が今まで経験してきたことについて、正直に書こうと思います。

これには理由があって、僕が大学受験を考えていた時に、同じような境遇を持つ方のネット記事にとても勇気づけられた経験があり、僕も同じように自分がしてきた経験を伝えることで他の方に少しでも勇気を与えられたらと思ったからです。

ずっと書きたいとは思っていたのですが、就活が終わって大学生活が落ち着いた後でないと、伝えたいことに重みがないかなと思って今まで書かずにいました。

いよいよ大学4年生になり落ち着いてきたところでGWに入って時間が取れ、「今だ!」と思ったので書きたいと思います笑

長文になりますが、ぜひ最後まで読んでいただけると嬉しいです。

目次

僕の経歴について

簡単に説明すると、僕は大学入学するまでに以下のような道をたどってきています。

通信高校卒業 → 専門学校進学 → 就職 → 退職 → 受験勉強 → 大学入学

高校は初めは普通の全日制の高校に通っていたのですが、途中で不登校になってしまい、通信制高校へ転校してそのまま卒業しています。

その後は高校からバンド活動をしていたこともあり、楽器製作の専門学校に進学して、ギターやベースなどの楽器を作る技術を学びました。(珍しいのでここが気になる人もいると思いますが、それはいずれまた!)

専門学校を卒業した後は地元の楽器卸会社に就職して1年3ヶ月ほど働いた後、退職して約半年の受験勉強期間を得て、金沢工業大学に合格して入学しました。

退職と大学進学を決めた経緯

何もわからずにした就職

私が専門学校を卒業して20歳で就職したのは、従業員十数名の小さな楽器卸会社でした。

専門学校の時の就活時はまだこれから自分がどんな仕事をするのかあまりイメージができていない状態であったため、適当に楽器店などを数社受けて落ちたらもう2年の秋頃で、専門学校が紹介してくれたこの会社を受けて内定をもらったので「まぁいいか」ぐらいで入社しました。

そんな適当な状態で入社したので、どんな業務をするのかも理解していなくて入ってから会社や業界のことを知ることになります。こんな当時の自分を雇ってくれた当時の会社には今でも感謝をしています。

入社半年ごろから感じた"違和感"

入って初めの半年間はがむしゃらに働いていたので、あっという間に過ぎていきました。

仕事にも少し慣れて余裕が出てきたとき、違和感を少しずつ感じるようになりました。

「ただの作業の繰り返しで充実感がない…」
「このままこの仕事をずっとやり続けるのか?」
「自分は会社の先輩たちみたいになりたいのか?」

特に不安が増したのが、先輩たちが約半年の間に2人も辞めていったことがあり、それから「このままではダメなのでは?」という気持ちが強くなりました。

初めは転職を考えてみたのですが、そこで気づいたのが

「スキルも経験もない自分には価値がない」

ということでした。そう思いだしてからはネガティブ思考が加速していき、「自分なんて存在価値がないんだ」と思うようになってしまいました…。

ずっと残っていた後悔

ずっと絶望的な気分で仕事を続けていた僕は、ある日両親と会った時に、その時の正直な気持ちを話して相談しました。その時に両親から「自分の人生なのだからやりたいことをやればいい」と言われました。

それが僕の1つの転機になりました。

「自分にとってやりたいことってなんだろう?」と真剣に考えるようになり、そこで出てきたのが「もう一度高校の勉強をやり直して、大学受験に挑戦したい」ということでした。

経歴のところで軽く話した通り、僕は高校の途中で不登校になっており、当時はまともに勉強をできるような精神状態ではなかったためそもそも大学に行くという選択肢を持つことができませんでした。しかし働いてから気づいたのですが、満足に勉強をしていないことや受験に挑戦できなかったことを僕はとても後悔していたのです。

「このままつまらない人生で時間を消費するなら、後悔のない選択をしたい」と僕は覚悟を決めて仕事をやめ、受験勉強をする決断をしました。

「仕事を続けながら勉強をするという選択もあるのでは?」という声もありましたが、仕事をしながらでは疲れて満足に勉強に集中することができなかったため、全力で勉強をするために退職をするという選択をとりました。

この時の僕の目的はあくまで勉強することと受験をすることであり、その後のことはまた後から考えようぐらいに思うほど開き直っていました。

受験勉強期間

限られた時間

開き直ってはいたものの、本当に大学に行くのなら早い方がいいということになり、次の年末で受験をして合格することを目標に設定しました。

しかし、なんと6月いっぱいで退職した僕に残された勉強期間は7月から1月のセンター試験までの残り半年程度でした。

しかも長らく学校の勉強というものから離れていた僕は数学だと因数分解もできないぐらい、英語だと中学の単語も怪しいぐらいでした。

そんな状況でも、退職という大きな決断をして挑んでいた僕は7月になってからは地元の個人塾に頼んで教えてもらいながら必死に勉強をしました。

無謀な挑戦

こんな厳しい環境だったのにも関わらず、僕が初めに理系の国立大学に行きたいという目標を持ちます。今考えると明らかに無茶だったのですが、頑固な気質を持つ僕は塾の先生に宣言して死ぬ気でやればできるかもしれないと言われ、目指すことになります。

当時の僕が立てた計画は以下の通りです。

  • 7月~8月: 数学(I・Ⅱ・Ⅲ・A・B)の青チャート、物理・化学の基礎、英語の基礎の参考書を終わらせる
  • 9月~10月: ↑の応用レベルの参考書を終わらせる
  • 11月: 赤本で入試対策、国語と地理の基礎
  • 12月: 赤本とセンター試験対策

みたいな感じです。いやぁ、今改めて思い出すと意味がわからないですね…。

ですが、当初は塾の自習スペースに朝から晩まで行ってずっっっと机に向かっていたのを覚えています。

再発した"症状"

実際初めの2ヶ月ぐらいは怒涛の勢いで勉強をしていたので、何もわからない状態から基礎的な問題が解けるぐらいには成長していました。

ですが、9月に入ったぐらいから少しずつスタートダッシュの勢いがなくなっていきました。単純にスケジュールに無理があったというのもあり、進度が悪くなればなるほどプレッシャーを感じてしんどくなるという悪循環に入っていきました。

そして、そのまま進んだ11月ごろ、ついに勉強が全く手につかない状態が続くようになってしまいます。こう見るとただの自滅なのですが、これは今回の挑戦において重要なこととなります。

実はですが、これと同じように勉強を頑張り過ぎて勉強ができなくなるということを中学・高校と1度ずつやっており、それが不登校につながってしまっていたのです。つまり、これは学生当時と全く同じ過ちを繰り返してしまっているのです。

この状態になってしまうと、何もかも気力がなくなり、ひどい時はペンを持っただけで震えが出たり問題用紙を見ると吐き気を催すようになります。冗談みたいですが、冗談ではなく本当です。

この状態が11月後半から1月の初めごろまで続き、塾にも行けなくなりほぼ何もできていない期間でした。

この期間、「覚悟を決めてやっているはずなのに、結局自分は何もできない人間だ」という思考が自分を極限まで追い込み、とても良くないことをしようとしたこともありました。(詳細は割愛します)

人生の第一部、完

「またダメなのか」と僕も両親も思っていたセンター試験間際の時、変化は起こりました。

約2ヶ月間の間僕がしていたことはずっと自分を見つめ直すことでした。自分とはどういう人間なのか、自分はなんのために生きているのかということを考え続けていました。

そこで出た答えは「今まで自分は周りの目を気にして、他人の評価を得るためにだけに生きてきた」ということでした。中・高といい成績を取ろうとしていたのは、勉強が好きだからではなく周りの評価が欲しかっただけでした。そして今回、国立大学を目指したのも「その方がすごいと言われそう」ぐらいの理由だったのです。そこまで無意識にずっとそう生きてきた自分に気づいたとき、「他人から評価を受けるために死ぬほど辛い思いをしてきたなんて、なんて馬鹿なんだろう」と思ったのです。僕が苦しんできた根本の理由がそんなことだったと受け入れた時、今までこだわってきたあらゆることが馬鹿馬鹿しくなりました。この瞬間、僕は他人の評価を気にするだけの人生から解放されたのです。

「どれだけセンター試験で悪い点数を取ろうとどうでもいい」と思えるようになり、突然両親に「センター試験受けるわ」と宣言しました。

そしてセンター試験当日、不思議とスッキリとした気持ちで、震えや吐き気といった症状も出ず試験を受けきることができました。

もちろん対策もほぼできていない状態だったため散々な結果でした。それでも、何か自分を変えることができたような達成感がありました。

当然もう国立なんて受かるようなレベルではなかったのですが、スタートダッシュで全力でやっていた分の学力の貯金があったため、私立のそんなに難しくない大学なら受かるかもしれないぐらいのレベルはありました。僕の目的はあくまで「勉強と受験に挑戦すること」であり、行ける大学があるならそこに行ってから後のことは考えようと両親とも話しました。そのため、受ける大学のレベルをかなり下げて私立の理系大学に絞って一般入試を受けました。

そして見事、金沢工業大学に合格しました。

僕にとってこの合格は、「大学に受かったこと」よりも「今まで乗り越えられなかったものに立ち向かい、それを乗り越えることができた」という意味合いが強く、今までの自分にけじめとつけることができたのではないかと思います。

僕の人生の第一部・22年間の戦いはこうして幕を閉じました。

遅れて大学に入って実際どうなのか

ここからは、多くの人から見たら4年遅れの22歳で大学に通うことが実際どうだったのかを中心に書いて行きたいと思います。

年齢について

国立大学などでは年を取ってからでも入学してくる人が少数いるというように聞いていたのですが、私立の大学にはかなり少ないように思えます。僕の知る範囲では、大学の同じ学年の人では自分が一番年上だったと思います。

そこを気にする人はしんどいかもしれませんが、周りの目を気にすることが極端に減った僕は全く気にすることなく、初めの挨拶でも堂々と年齢を明かして自己紹介しました。むしろ年下でも同じ学年なのだから対等に接してほしいと思っており、できる限りラフに話すことを心がけていました。

自分なりの大学生活が送れればいいやぐらいに思っていたので、正直友達ができるかどうかとか考えてもいなかったのですが、堂々としていたのが良かったのか逆に興味を持って話しかけてくれて人がいてそのまま仲良くなりました。今でもその人たちとはたまに遊びますし、友人関係も続いています。

お互いに慣れてくると誰も年齢を気にすることがなくなるので、今となっては「そういえば年上じゃん」みたいにむしろ忘れ去られています。僕としてはその方が嬉しいですけどね。

勉強について

よく言われる通り、大学の勉強は中・高と全く違っており、専門的でより高度になっているため勉強するよりも学ぶという言葉の方が似合うような内容です。

僕は情報工学科に入ったのですが、今まで触れたことのない知識が山ほどあり、中・高のように知識をひたすら詰め込むのではなく、根本から理解するようなもののため、自然と楽しく学ぶことができました。

課題など大変な時もありましたが、昔のように精神的に追い込まれたことはなく優秀な成績を取り続けることができました。(自分で言うのはなんですが)

大学生活について

年齢がある程度上の状態で大学に入ると、「高校を卒業してそのまま入ってきた人たちと同じようにサークルとかに混じってもいいのかな…」と言うことも気になってしまうと思います。僕も多少は気になりました。

ですが、何もダメなことはないので、「やりたいことがあったら積極的にやろう!」ということを大切にするようにしました。

僕は金沢工業大学のプロジェクト活動という課外活動に参加したり、大学主催のワークショップに参加したり、インターンに参加したりなど積極的に活動をした結果、とても充実した大学生活を送ることができました。

自分探しをする

先ほど話した通り、僕は人生の第一部を完結してしまったため、これからの第二部の人生をどう生きようか結構困りました。何が困ったかというと、大きな目標を達成してしまって、次の目標がなく何をしようか悩んだということでした。

だからこそ、大学に入学してからずっとずっと「自分はこれから何がしたいんだろう?」ということを考え続けていました。多くの学生と同じように自分がやりたいことがわからなかったのです。

結果から言うと、今はざっくりですが進みたい道が見えています。

僕がやりたいことを見つけるためにしたことは、もう上記で書いているのですが、とにかくいろいろなことに挑戦してみることでした。大学に入って感じたのは、世界には自分が知らないことばかりということです。そして、やりたいことは自分が知っていることの中からしか見つけれません。つまり、やりたいことがないというのは、まだやりたいことに出会っていないだけというのがほとんだというのが僕の持論です。だからこそ、やりたいことがない時は、あらゆることに挑戦して、いろいろなことに触れることが大切だと思います。

そしてもう一つ大切なことがあると思っています。それは、まずはやれることからやるということです。

基本的に多くの人が楽しいと感じる瞬間は何かに取り組んで上手く行った時だと思います。そして、自分がやれること(得意なこと)をやった方が上手く行くことが圧倒的に多いです。なので、やりたいことが見つからない人はまずできそうなことをやってみて、それが上手く行ったら続けるぐらいがいいのではないかと思います。上手く行くと楽しくなり、それがやりたいことに繋がっていくのではないでしょうか。

就活について

4年も遅れて入っているので、僕が一番心配していたのは就職活動がどうなるかでした。

これも結論から言うと、どうにかなります。というか、どうにかなるどころかとても良い結果で就活を終えることができました。

年齢にもよると思いますが、4年違いぐらいであればどうにかなりました。30歳を超えて新卒として入るとなると少し話は別かもしれませんが…。

僕は大学3年の時、25歳で就活をしていたのですがあまり年齢で問題になったことはありませんでした。

良かったこととしては以下のような要素があったと思います。

  1. 行きたい業界がほぼ実力主義で、学歴や年齢はあまり気にしていない企業が多かった
  2. 大学生活で結果を残すことを1年生から意識していた
  3. 今までの経歴を嘘偽りなく堂々と話すようにした

まず1.については、やはり選ぶ業界は大切だなと思います。僕は意図的にそういった環境を探して選んだのですが、年功序列の企業や業界に行こうとすると厳しいこともあるかもしれません。実際に僕が就活していた企業の中にも、年齢制限で応募できないような企業もありました。

次に2.については、社会人時代の話で触れたように、何もできない自分というのを感じていたので、大学に入った時からとにかくスキルと経験を得ることを重視するようにしていました。なので、多くの学生がやるようなアルバイトはせず、仕事につながるような経験ができる活動することを重視しました。(僕は両親から金銭的な援助があったのでできましたが、学費を稼ぎながら行かれる方は話が別だと思いますので気にしないで下さい)

そして3. については、実際の就職活動の時の話になりますが、僕のような変わった経歴があると面接などで100%聞かれます。その時に黙ってしまったり、ネガティブなことばかりを話してしまうと上手く行かないこともあるかと思います。ですが、僕はこの時には自分が今までしてきたことに誇りを持っていたので、正直に堂々と話した上でそれが今の自分であることを言いました。結果的にそういった姿勢が良かったのではないかと思います。

こんな僕から伝えたいこと

長々と書いてしまいましたが、最後に僕から皆さんに伝えたいことがあります。

それは人生を変えたければ挑戦が必要だということです。

あ、別に何かに勧誘したいわけではないですよ笑

ただ、昔の僕のように今の環境や今の自分に絶望している人がいたり、今までがつまらない人生だなという人がいたら、それは何かを決断して挑戦しなければ変わらないと思います。

挑戦をすることはとても怖いと思います。僕も今でも怖いです。

でも、もし挑戦して失敗しても、今が最低だと思うならそれより悪くなることはないんです。むしろ僕のように失敗することで、何かに気づいて大きく変化することがあります。

今がどれだけ最低でも、あなたがほんの少しの覚悟と勇気を持てば、その人生は大きく変わると思います。

年齢を気にする必要はありません。周囲の目を気にする必要はありません。

皆さんにとって、本当に大切なものを1番に考えてください。

そうすれば、きっと少しの覚悟と勇気が湧いてくると思います。

皆さんの挑戦を僕は心から応援します。


こんな自分語りを最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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